『やっぱ月帰るわ、私。』(赤々舎刊)追記より

インベカヲリ★ 写真集『やっぱ月帰るわ、私。』追記より

人の人生を聞くのは楽しい。私の興味はまずそこにある。
 被写体がどんな気もちで何を考えて、どんな過去とともに未来を見つめているか。個人のもつ人生物語からインスピレーションを得て、写真のイメージを膨らませていく。
 写真を撮る上で、私は若さや美しさといった表面的な造作にはほとんど興味がない。それも人をつくり上げるひとつの要素だけれど、生きてきた過程で生まれるオリジナリティが見たい。平均化され、理想化されたものに個性はなく、むしろ一般論から外れたところにこそ、その人の思考や感性が現れると思っている。世間の常識を身にまとった姿を崩していったとき、その奥の姿が見えてくる。
 リストカットなどの写真はビジュアルとしてインパクトがあるけれど、私は傷より顔が撮りたい。病気の症状は個性ではないので、現象よりもその目から感じる力に集中したいという思いが常にある。
 女性を被写体に選ぶのは、日常の延長として撮られることの感覚をもっているからだ。男性の場合は、被写体となることに明解な理由をもち、完成された姿を見せたがる。逆に女性はもっと柔軟で、自分を客観視したい、違う角度から見たい、何か自己主張したいときなどにカメラの前に立つ感性をもっている。
 写真集のタイトルである「やっぱ月かえるわ、私。」は、カメラの前で、そうした自分の根源にある心象風景を晒し、世間のうねりから抜け出していくさまを「竹取物語」に重ねて表現した。
 あらゆる感情のなかでも、私は「怒り」の感情に生命力を感じるから、被写体から鋭い視線を引き出して撮りたくなる。劣等感や悲しみや絶望など、人生に抑揚をつける感情の根源にあるのは「怒り」だと思うし、自分自身に向けられる怒りの中には、外部からの抑圧、たとえば世間の常識や家庭環境や男性優位な社会や生まれた時代など、様々な抑圧に対する怒りが秘められている。怒りは主張だから、そうした言葉以外で見えてくる発言を撮りたくなる。人間とは、その人のもつエネルギーのことだから、顔や体を超えた先にある魂を写したい。(文/インベカヲリ★ )

この写真集の神保町画廊での取り扱いはございません