大槻香奈写真展「人形の住む家」

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夢も恋も野心も陽だまりも流れ星も。私たちの魂の還る場所はここにある。 幾原邦彦 (アニメーション監督)

昼間の家の様子を撮った「昼間に宿る」、妹達を撮った「祝福ふたたび」のシリーズで構成。美術作家 大槻香奈初の写真展。

大槻香奈写真展「人形の住む家」
5月24日(金)~6月2日(日) 会期中無休 開廊時間13時~19時
May 24-June 2 2019 Kana Ohtsuki Photographic exhibition

「人形の住む家」 文/大槻香奈
 母方の祖母の家を撮っている。私にとってその家は、幼いころから心の支えだった。特に晴れた昼間、やわらかい光が差し込んでいるとき、私は家と一体になったかのような、得体のしれない何かに守られているような気持ちになった。
 子供の頃は親戚の子供たちと集まって、家の中で鬼ごっこやかくれんぼをしたり、部屋にステージを作って劇をしたり、夜のお庭では、親戚の大人たちをお客さんにお化け屋敷をやったりして、いつも賑やかな家だった。
 その家には人形がたくさんあった。母が幼いころ遊んだフランス人形、誰かの結婚祝いに贈られた日本人形、祖父が旅行土産で買ってきた木彫りの人形、孫たちが祖母に贈った人形など… 誰かが誰かのために買ってきた、ささやかな祈りや願いの形が家じゅうに存在していた。普段は人の話し声でかき消されているけれど、ふと昼間にひとりで家にいると、人形たちのささやき声が聞こえてくるような、いつもなんともいえぬ霊的な気配を感じていた。昼間の光に静かに照らされたお人形たちは、その瞬間生きたような色気もあり、その向こうに誰か持ち主の想いのようなものを感じたりしていた。見えない何かを受け取っては、心落ち着くと同時に怖い感覚もあって、それはたとえば、神様や仏様を感じる時に似ていたかもしれない。けれど、私にとってお人形は、それよりもずっと身近なものだったと思う。
 元々日本人形というものは、厄除けとして結婚や出産など祝い事に贈られるもので、家の守り神として日本の家に存在してきた。そんな文化は今はもう古くなってしまったけれど、昔は人の願いや意思を繋ぐものとして、人形が機能してきた側面がある。祖母の家の人形たちは、きっとこれまで長い間、祖母や親族の私達の不幸事の身代わりになって、この家を守ってくれていたのかもしれない。
 かつては多くの家族や親族が頻繁に出入りしてきたその家に、今は祖母がひとり、静かに暮らしている。祖母はいまも生きている。けれどもこの先、この家はどうなるのだろう。祖母を中心としてこの家に関わってきた人たちや、人形たちが作ってきた家の気配は、最終的にどこへいってしまうのだろうと考えるようになった。そうして私は、祖母の家の姿を写真に収めずにはいられなくなった。この写真たちが、時代の流れの中でいずれ失われゆく「気配」の記録のひとつとなっていればよいなと思う。

※今回の展示は「昼間に宿る」という昼間の家の様子を撮ったシリーズと、「祝福ふたたび」という、私の妹たちを撮ったシリーズで構成する。「祝福ふたたび」について、写真の中の妹たちは時に祖母のお下がりのお洋服や小物を身に纏っている。それはどこか祖母の幽霊のようであったり、若かりし頃の私の母のようでもあり… そしてまた、家族の誰かの見えない意志を受け継ぎ、家を見守ってきた人形たちのようでもあり… そんなふうに、家に馴染んできたものたちのイメージを形にしている。