大塚咲 写真展『私たちが共鳴するとき』

大塚咲写真展『私たちが共鳴するとき』
9月6日(金)~16日(月) 13時~19時 会期中無休

どうして女達は被写体になりたがるのか、私はそれが不思議だった。1人の女性と私とを7年間撮り続けた。

2019 Sep.6-16 大塚咲写真展「私たちは共鳴している」
2019 Sep.6-16 Saki Otsuka Photo Exhibition『When we resonate…』

「私たちは共鳴している」

彼女に出会ったのは2012年。それからずっと撮影し続けている。
彼女の住まいは福岡だった。撮影の時、彼女は東京まで来た。自ら進んで何度も何度も東京に通う。そのエネルギーは、その意味はなんなのだろうか。

当時、私はたくさんの被写体を撮影していた。HOTEL‐Bの撮影をしていた時期でもある。
SNSにはたくさんの被写体希望の女の子が溢れていた。
ちょっとした好奇心程度の子もいれば、その理由に覚悟のようなものがある子もいた。
私にとって、ヌードにならない被写体は不必要だった。ヌードになる被写体の子達は、面白い。
私の被写体になってくれる子には体が傷だらけの子もいたし、
いわゆるヘビーな身の上話を持つ子もいた。
私みたいに普通には生きれない子が多く、普通の仕事ではない子達がほとんどだ。

色んな子に出会ったけれど、違和感を覚えたのは彼女だけだった。
彼女は普通に生きれる普通の子だ。
たいがいの普通の子達は撮影しても顔を隠したいとか、
撮影後に怖くなって公開しないでほしいとか、中途半端なことを言う。
でも、彼女には自分の存在を惜しみなく使いたいというような必死さがあった。
彼女は必死に東京まで来たし、私が旅先で撮りたいと言えばその旅先まで来た。
そして、写真は撮った人のものだと言い切った。

彼女をみていると、どうして女達は被写体になりたがるのかということを考えたくなった。

2019 Sep.6-16 大塚咲写真展「私たちは共鳴している」

私は被写体だった。
それは自分の存在を知らしめるための手段だったし、
私はここに生きていると世界を睨みつける為でもあった。
彼女の言うとおり写真は撮った人のものになってしまう。
被写体として世界を睨んでも”女だから”悔しい思いをする。
男性社会のこの業界も被写体である女達は搾取されやすい。
これ以上悔しい思いをするもんかと私は誰かの被写体をやめ、自分を撮り始めた。

被写体の子達は、どこか不安定だ。とても繊細な状態で、でも、それは弱いからじゃない。
不安定なのは自己を奪われてしまってるせいだ。
自己を確立出来ていない状態で、自分を認めてくれる何かに心を委ねるのはとても自然だ。
そして、みんな言いたいことがあるはずだと私は思う。
心の中にある感情は言葉にならなくて、だけど戦いたくてカメラの前に立つ。

私はあえて育った環境も人生も全く違う彼女を選んだ。共通点が無くても女であるのは同じで、
言いたいことも同じなんじゃないかと、そう思ったから。

彼女は”女だから”奪われてしまった自分に被写体という命を与えた。
そして写真という形あるものに残すことで自分の存在を認めたかった。

私は”女だから”奪われてしまった自分を被写体にし怒りを表した。
社会から無視され続けている自分の存在を見せつけることで復讐心を満たした。

私達は共鳴している。
おんなとしての生きづらさに怒りを鳴らして。世界を恨んで。

2019 Sep.6-16 大塚咲写真展「私たちは共鳴している」