2016年

 

金利健司写真展  ムーニー劇場~切った女と切られたかった男~

12月9日(金)~12月25日(日)
会期中休廊日:月・火 開廊時間:13時~19時

1936年(昭和11年)5月18日、「愛するがゆえに」男性を絞殺し、局部を切り取った阿部定。1938年(昭和13年)5月21日、「愛されたいがゆえに」銃と日本刀で村人30人を殺害した都井睦雄。殺人を擁護することはできませんが、阿部定は愛と性を追い求め、そして都井睦雄は愛と性に苦しめられた結果として起こった、2つの事件です。人間が、人間同士の関係性を持つ限り、逃れられない愛と性の喜び、悲しみ。過去を断ち切るように近代化した日本ですが、いくら厚化粧をしても覆い隠せない人間の性は、二人の亡霊のような犯罪として、繰り返されるのです。(文/金利健司)

December 9(Fri) – 25(Sun) 『Theater Moony』Kenji Kanetoshi Photo Exhibition.   Gallery hours during the exhibition are 13:00-19:00 from Wednesday through Sunday.The Gallery is closed on Monday,Tuesday.

When there is no exhibition, the gallery is usually closed.


Travels of My Unconscious ~トラベルズ  オブ  マイ  アンコンシャス~

村田兼一「魔女の系譜」出版記念展 11月11日(金)~11月27日(日) 

「魔女の系譜」というタイトルは雑誌連載の為に付けたものだ。それを一冊の本にまとめた。連載当初は、魔術やアニミズムの話を語るのもよし、モデルを魔女の末裔に見立てるのもよし、そんな感覚であった。しかし連載が終わってみると、私自身が魔女の末裔であり、2年に渡る連載は、私自身の深層の変遷を巡る旅でもあった。(文/村田兼一)November 11(Fri) – 27(Sun) Ken’ichi Murata Photo Exhibition Travels of My Unconscious

tuikaayumi20160104-moji2


酒井敦写真展「胎内窟」SAKAI ATSUSHI     TAINAI KUTSU  10月14日~10月30日

断崖絶壁や石切り場を、大判4×5のフィールドカメラでモノクロフィルム撮影、イルフォード社の温黒調光沢印画紙に手焼きプリントしています。描写が緻密で最暗部の中にも更に奥行きを感じる作品です。

20160826_990538

October 14(Fri) – 30(Sun) Sakai Atsushi Photo

 胎内窟 (文/酒井敦)

子どもの頃から洞窟が好きだった。コウモリをつかまえたり、洞窟の中に秘密基地を作ったりして遊んでいた。今でも事あるごとに洞窟の写真を撮っている。
 
大人になっても洞窟にもぐりたいのは、きっとお母さんのおなかの中での記憶をたどっているんじゃないだろうか、という思いに至った。それは舞踏の師である大野一雄がいつも語ってくれた「お母さんのおなかの中の胎児のように踊ってください」という言葉とともによみがえってくる。
 
「お母さんのおなかの中では胎児は微生物から魚類、両生類、そして哺乳類までのすべての生物の進化の過程を経て、この世に生まれ出てくるんですよ」と大野は幾度となく繰り返し、稽古をつけてくれた。
海辺の洞窟は波によって侵食されて出来上がったものが多い。地球は侵食作用と造山運動の繰り返しによって出来上がり、その中で生物も進化してきた。
 
この数年、4×5の大型カメラをかついでの海辺の洞窟や断崖絶壁や石切り場を巡って撮影してきた。岩の質感を再現したいので、モノクロ大判フィルムを光沢印画紙にプリントしている。今までの撮影とまったく違うのは、自然光をじっくり待つことだ。月に照らされている岩場を見つめていると、地球そのものが広い宇宙に漂う胎児のような気がしてくる。

HASEO 人魚展

haseo11

9月16日(金)~10月2日(日) September 16(Fri) -October 2(Sun) HASEO Photo Exhibition


七菜乃写真展 私の女神たち -My Venuses-

megami41

8月19日~9月4日
女神とは女性の姿を持つ神の事を言うそうで、性差の話ではなく、カタチの話だそう
 です。女性性を強いられる事もないこの呼び名をモデルさんたちに名付けるのはピッ
 タリだと直感しました。私はこの女神たちを野に遊ばせ、その姿を切り取ることをい
 つしか夢想しました。妄想は脳内で沸々と噴き出し、ついには作品として、深緑の庭
 に私の想う女神たちとして降臨したのです。眩い光と風の中、私の女神のイメージを
 共有して頂けたら幸いです。(七菜乃)
August 19(Fri) – September 4(Sun) Nananano Photo Exhibition


クロダミサト写真展『美しく嫉妬する』

us28_350

7月22日~8月7日
昨年11月に出版された『美しく嫉妬する』を記念して同タイトルのクロダミサト写真展を開催いたします。写真集『美しく嫉妬する』(日本カメラ社)は2014年から2015年に撮りおろされた写真で編集されており、沙和子と旅をするように綴った一冊です。
『美しく嫉妬する』は彼女の親友である沙和子を長年にわたって撮影し続けているシリーズで、今回の展示では2014年から2016年に撮影された写真を中心に展示を行います。
July 22 – August 7, 2016 Misato Kuroda Photo Exhibition

大塚咲写真展 「3P]

3p_sequence10_40
6月24日~7月10日
June 24 – July 10, 2016 Saki Otsuka Photo Exhibition “3P” 
3Pの写真を撮りながら、私が他人を巻き込んでいるのか、他人に私が巻き込まれているのか、よく分からなくなった。
性は好奇心に突き動かされて、どうして人の本性を見せるんだろう。
どうして心の傷を見せるんだろう。どうしてそれを見た時、私は安心するんだろう。
そして、性が見せる様々な嘘が、私は愛おしくてたまらなかった。
大塚咲の写真を見ながら、性的な場面を撮ることのむずかしさと面白さについてあらためて考えた。
人が何かに夢中になって没入している時、そこには思いがけない、真剣かつ滑稽な表情や身振りがあらわれてくる。当然、写真家にとっては魅力的な被写体なわけで、19世紀の写真発明以来、天文学的な量のその種の写真が撮影されてきた。とはいえ、それらは時に法の規制を受けるような「危ない」イメージでもあり、撮る側も撮られる側も、完全にコントロールするのは不可能だ。退屈な紋切り型のポルノグラフィに陥るか、それとも見たこともないようなパワフルな写真が生まれてくるのか、写真家たちはそのぎりぎりの綱渡りをしなければならなくなる。
 大塚咲もむろんその一人だ。彼女の体を張った写真行為のプロセスが、この「3P」のシリーズには刻みつけられている。飯沢耕太郎(写真評論家)

村田兼一「作家生活20周年を斜めから観る」展

nano212
5月27日(金)~6月12日(日)
村田兼一さんの写真家生活が20周年を迎えるという。長く続いたような、あっという間にここまで来たような、どちらにしても感慨深いものがある。最初にお会いした頃には、正直このテンションをどこまで保ち続けることができるのかと思った。ヌード撮影という、繊細な神経の使い方を要求される作業を続けるのは本当に大変だからだ。でも、村田さんは見かけ以上にタフな写真作家だったようだ。じわじわと、しぶとく撮り続けた成果が、今回の個展で披露される。それらを「斜めにから観る」と、どんな眺めが見えてくるのかが楽しみだ。飯沢耕太郎(写真評論家)
May 27 to June 12, 2016 Ken’ichi Murata Photo Exhibition  
Gallery hours during the exhibition are 13:00-19:00 from Wednesday through Sunday….
The Gallery is closed on Monday,Tuesday.
Ken-ichi Murata has reached the 20-year mark in his career as a photographer. Whether coming to this point has felt like a long time or a mere instant, it has undoubtedly been a passionate ride. When I first met him, I have to be honest in saying I wondered how long a man of his demeanor could continue in this profession. It’s truly difficult to continue working in nude photography with the delicacy demanded by that genre. Apparently, Murata was a much tougher photographer than his physical appearance let on. His accomplishments, attained gradually through persistent continuity, will be showcased in this solo exhibition. He invites us to “view from an angle” indicating that there is something to be enjoyed any way you look at his work.
 Iizawa Kotaro (photography critic)

珠かな子 改名記念展 「マタギタマ」

s__349061141
5月6日(金)~15日(日)
May 6- 15, 2016 Kanako Tama Photo Exhibition “MATAGITAMA”
マタギタマ(文/珠かな子)
自分の命を晒して猟をする。そして命に敬意をはらって食す。
そういった原始的な事が好きなのと、それを形成する「強さ」というものに憧れを抱く。
私にとって強さの象徴が「熊」で、それに対峙する存在がマタギだ。
マタギとは、鬼のまた強いという意味から「叉鬼」と書く。
昔読んだ説話で、寺院を未来永劫守りたいという強い意志から、人が鬼になり守り続けたという話があった。真っすぐな鬼を美しいと思い、私は不老不死の鬼になりたいと思ったし、鬼のまた強い叉鬼にもなりたいと思った。
強いものは美しく気高い。
私にとっての少女や女性も、強く、美しく、気高い生き物だ。
少女から大人になり、子を孕み産む。その子がまた未来へ引き継ぐ。
少女も熊も、強く尊い
そしてなにより、その二つは可愛いのだ。
熊と少女という不思議な組み合わせかもしれないけれど、ただ素直に生命の強さと可愛さを伝えたい。

クロダミサト写真展 -My Favorite Things-

kurodahp351
4月8日(金)~24日(日)
April 8 – 24, 2016 Misato Kuroda Photo Exhibition “My Favorite Things”
2010年「沙和子」、2012年「無償の愛」、2015年「melt the ice cream」、各シリーズを中心に未発表作を含むプリント、ポラロイド作品の作家自身によるセレクション展。

left behind -残されたもの- 小林修士写真展

3月4日(金)~3月21日(月)
以前の日本家屋には、日常と非日常が交わる「薄暗がり」があちこちに存在し、その「薄暗がり」には、恐怖や不安、淫靡や色欲がぽっかりと口を開けていた。背徳は、「薄暗がり」の疚しさを好む。背徳は、女を“したたかな獣”に変える。日本家屋を舞台に配した小林修士の「left behind -残されたもの-」は、まるで家の中に漂う残留思念のような、光と陰影の狭間で媚態をさらす女たちを写し取った作品群だ。光と闇に暴力的に二極化されつつある現代、そこに生きる我々の重層的な感情のどこかに、この作品は微かに、そして妖しく誘いかけてくる。藤井貴城(『フォトテクニックデジタル』編集長 )
left behind -残されたもの-(本展の設定となる仮想ストーリー)
 私は妻が出かけている合間、しばしば関係を持った女性を自宅に連れ込んでいた。カメラが趣味の私は情事に及ぶ前後、彼女をモデルにお互いの楽しみとして写真を撮影していた。そこに写る彼女は日頃からは想像つかない大胆さで美しく私を挑発をしている。この写真は私たちの秘められた関係の証拠であり、他の誰も見る事の無い二人だけの秘密の記録だ。
 (Story) While my wife was out of the house, I was in the habit of bringing home a female acquaintance of mine. As the camera had been a passion of mine at the time, I would have the woman pose as my model as we played about. I was unimaginably provoked as I saw the boldness in the beauty of the woman I was shooting. These pictures were to be proof of our secret relationship, a secret record that can be viewed by no other.
kohp1
夫が亡くなって一年が経とうとした時、夫の書斎机の引き出し奥からブリキの缶箱を見つけた。その中には私の知らない女性が自宅の居間や台所であられもない姿を晒している写真が何枚も入っていた。私はその写真を見た瞬間、夫が撮影したものだと理解し同時にそこに写る女性との秘密の関係を知ってしまった。破り捨ててしまいたい程の嫉妬心と怒りを感じながらも写真から目が離せなかった。私が愛した夫の「作品」としてこの写真を発表しなければと思ったのだ。
 Nearly a year after my husband had passed away, I came upon a tin in one of his drawers. Inside were a number of pictures of a woman I didn’t know in our living room and kitchen inappropriately exposing herself. In the moment that I set eyes on these photographs, I not only knew when these photographs were taken, but also the secret relationship he had with this woman. While I wanted to tear them up and throw them all out, at the same time, I couldn’t stop looking at them. I felt that I had a duty to release these photographs as the“works”of the husband that I loved. テキスト英訳:Otho Faure
March 4 – 21, 2016 Shuji Kobayashi Photo Exhibition “left behind”

村田タマ写真展 『いまは、まだ見えない彗星』 A Yet Unseen Comet

1月15日(金)~1月31日(日)
January 15-31,2016 Tama Murata Photo Exhibition “A Yet Unseen Comet”
自分をモデルにして撮り続けるというのは、けっこう大変なことだと思う。同じことを繰り返すとマンネリといわれるし、新しいことをやるとイメージが違うとクレームがつく。いつも新鮮な気持ちでいるのはむずかしい。セルフポートレートの「毒」は、知らず知らずのうちに全身に回っているものだ。今回の展示で、村田タマは「原点回帰」を試みている。余計な夾雑物(キョウザツブツ)を捨て、少女の瞳に輝く星を見つめ続けること。ジャンヌ・ダルクのようにまっすぐに突き進もうとしている。飯沢耕太郎(写真評論家)
tama2015hp2 
セルフポートレイト写真展『いまは、まだ見えない彗星』 文/村田タマ
「少女の瞳には星が瞬く」そんな思いで少女に擬態し、おとぎ話のイメージのセルフポートレートを2012年より撮り始めた。
私にとって「少女」は強さと気高さの象徴であり、祈りであり、信仰だ。
その少女信仰のもとで、被写体が自身であるということは常に私を追い詰める。
セルフポートレートは沼で、作品は私の膿だ…沼でもがく程に深みにはまる。だが「少女」に夢を抱く私は、その沼の何処かに光があるように感じ、沼は宇宙なのかもしれないという錯覚を抱くのだ。
彗星は綺麗だけど、氷の粒と塵の集合体だ。作品は私の膿であり塵だが、塵が積もれば彗星になれるかもしれない。
沼の出口はまだ見えないけど、いまはまだ見えない彗星と同じように、いつかは太陽と地球の距離によって、光輝いて見えるかもしれない。
また、近しく終わる少女に擬態するセルフポートレートを、瞬いて消滅する彗星に喩えたくなるのだ。
 “The stars twinkle in the eyes of a girl.” It was with this idea in mind that I started doing self-photography portraits on the theme of the fairy tale in 2012; an idea which I felt reflected the image of the young girl. To me, “the girl” means strength and dignity, prayer and faith. With myself as the subject of my work, I am always out to capture that faith inherent in the girl. Self-portraits are a swamp and the works are my raw discharge, and I struggle as I sink into the depths of the bog. Still, I embrace the dream of the “girl” and feel that I will find a light, and that this swamp may actually be outer space.
 Comets are beautiful, but they are merely a collection of ice and dust. The raw discharge that is my work is garbage, but brought together this garbage may become a comet.
 I still can’t see how to get out of the swamp, but like a yet unseen comet, someday with the proper distance of the sun and the earth, its light may be seen.
 In addition, I feel I am close to finishing taking self-portraits of the girl, quite like the twinkling and subsequent vanishing of a comet. (TamaMurata) テキスト英訳:Otho Faure