増田ぴろよ“背守り”

呪いに抗する祈りと連帯 ~流転する愛と毒~ 佐々木ののか

愛は祈りだ。そして、呪いにもなる。いずれも矛盾しない。愛を手渡す人の意思にもよらない。たとえば、母の愛情がそうだ。子の健やかな成長を願わぬ親がどれだけいようか。あるいは、母から1mmも毒を受け取らぬ子がどれだけいようか。

祈りは、どこから呪いになるのか。

その境界を裸足で歩き続けてきたのが、増田ぴろよである。

増田が歩く道には、いつも「毒母」の存在があった。そもそも、彼女が男性器が描かれた布を切り刻み、縫い合わせる「キルト」という手法を選んだこと自体、過剰な母性を表現するためであったという。中でも、個展「正しい娘。」は、「毒母」をテーマにしたキルト作品群の集大成とも言える展覧会だった。「正しい娘。」は同じタイトルで過去2回開催している。2017年には歌舞伎町の某高級クラブで、2021年には新宿眼科画廊で、いずれも新宿で展開された。2度の「正しい娘。」を経た増田は、母の毒が充満する部屋から出る糸口を掴んだ、と思ったという。

しかし、修験道は続いていた。彼女が見てきた景色のすべてを、私は知らない。けれど、2017年の「正しい娘。」以降、彼女は「連帯」の輪郭を探ってきたように思う。たとえば、2022年に開催したワークショップ「キルトマッサージの世界へようこそ」では、新作キルトとキルトクッションに囲まれたキルト空間で、希望した来場者にマッサージを施し、物理的な連帯(キルト)と癒し(マッサージ)に挑戦した。後に増田は「同じ傷、同じ敵から生まれる絆の脆さに疲れてしまった。技術と手仕事に集中することだけが、私が向き合える連帯の精一杯 」と語っている。

2023年5月に行われる本展は、2017年以降培ってきた増田の思念が体現された展示と言えるかもしれない。新宿という愛欲の磁場で繰り返し行われた「正しい娘。」は、土着の文化へとたどり着く。

本展の表題でもある「背守り」とは、子どもの着物の背中に施された魔除けのお守りのこと。現代以上に、子どもが命を落とすことが多かった時代に、子の健やかな成長を願って施された。子を想う母の愛情と言い換えても差し支えないであろう背守りを、自らの手で施し、訪れた人に手渡していく。そこには、かつて愛を呪いとして受け取る娘でしかなかった増田の姿はない。

本展では13点の背守りのほか、百徳の着物が展示される。百徳もまた、子に健康に育ってほしいという母の一念から、長寿の知人や徳のある年寄りの家からもらいうけた端裂(はぎれ)を、祈りをこめて接ぎ合わせてつくられた着物だ。2023年2月に新宿二丁目の「Artbar星男」にて行われたワークショップ「新宿の百徳」には、新宿にまつわる端裂が富貴寄せられた。これらの縫製を担当したのは、創業100年の仕立て屋「岩本和裁」の4代目であるキサブロー。氏の提案で、集められた端裂は「打掛」と呼ばれる、格式高い婚礼衣装と同じ丸みをおびた袖の形の百徳着物として仕立てられた。正しくはない欲望、煌びやかな夜。さまざまな想いが染み込んだ端裂は、赤とピンクの糸をもって連帯する。

これまで「小さくて綺麗なものをつくってたまるか」と毒にも薬にもならないものへの嫉妬を抱えてきたという増田。そんな彼女が、今回の背守りのように美しい小作品をつくる決心がついたのは、さまざまな人の想いが詰まった百徳着物という大作を完成させられたことが大きいという。五角形の中にリボンモチーフを施した背守りからは、陰陽道で魔除けの呪符として伝えられる五芒星と連帯を想起させられる。呪いに抗すること、すなわち祈りの一つの解として、連帯があるのかもしれない。

ところで、連帯という言葉はあまりに美しい。連帯しようという正しい想いだけでつながれるほど、人は無垢でも、単純でもない。だから、私はこれまで連帯という言葉を聞くたびに、鼻白んできた。しかし、増田が表現する連帯は、毒も呪いをも包摂している。ゆえに嘘がなく、強固である。あえて言葉にするならば、私はそういうものにこそ、フェミニズムと希望を見出したい。今なら、縁を絶ったかつての“姉妹”たちとまた、手を取り合うことができるだろうか。

増田ぴろよ個展『背守り』
5月19日(金)-28日(日)
13:00-19:00 会期中無休 於:神保町画廊

着物制作:キサブロー
ステートメント:佐々木ののか
写真:櫻田宗久
モデル:七菜乃 | Ricky