JUMPEI TAINAKA Exhibition

JUMPEI TAINAKA Photo Exhibition “Metaphysical Thoughts on Kühleborn” November 11–20 Gallery hours during the exhibition are 13:00-19:00

タイナカジュンペイ写真展
「キューレボルンへの形而上学的思考」
11月11日(金)–20日(日)  13時–19時・会期中無休

タイナカジュンペイ 写真&アートディレクション
俳優・栄信 被写体

経緯から作品の誕生に至るまで Youtubeドラマ「おやじキャンプ飯京都編」に出演した時に出会った俳優・栄信と、折が合い東京で再会。会った時には、何か一緒にやろうはすでにお互いにとって周知だった。ただ作品撮影と称してやるだけでは何かしら物足りなく、SNSで消費されるだけのものになることには違和感があった。では何ができるか、何をしたらということにいきつき、テーマを持って、展示や何かしら形にすることを目的にして撮影をしようかということになった。

ブレインストーミングを始め、あれやこれやテーマを出し合ったり、エピソードを挟んでみたりして、何時間もの話し合いの末にたどり着いたのが、栄信自身が持つ一つの本質かもしれない「禍々しさ」だった。写真で目に見えないようなものを形にすることは、表現としてものすごく好奇心が生まれ、それをアートとして昇華することができたら価値があると思った。

禍々しさとは何か。調べてみると、「何かよくないことが起こりそうな、嫌な感じを催させるさま。不吉な様子。不気味なさま。忌々しいさまを意味する表現」と出てきた。ここで気づいたのは、禍々しさというのは、悪を意味しているわけではなく、凄惨で悲惨で、とにかく苦しみや悪意に満ちた有様を意味しているわけではないことを知った。あくまでそういうものを孕むかのような雰囲気を意味するのだ。

戦争やこの世の悲劇を想像し、そこに禍々しさの真実があるのかもしれないなんて思考は及んだが、そうじゃないと考えが至った。個々の人間が醸し出す禍々しい有様にも禍々しさは存在する。栄信が携える禍々しさを写真に写し込むことによって、人が醸し出す雰囲気や印象、果てはオーラとはなんだろうを思考することにも繋がるかもしれない。

幾度かの撮影を重ねた後、栄信だけで禍々しさを表現することは、表現としてストレートすぎたので、他の何かと掛け合わせて、むしろ何かを彷彿させるような、それこそ俳優として存在する彼が行うのにぴったりだと思い、禍々しさを持つキャラクターを探した。実は栄信とおやじキャンプ飯の撮影でつながった経緯もあったが、そこにもう一つつながるきっかけがあった。それが私が最初に出した写真集Undineを彼が気に入ってくれて手にしてくれたことだった。そんなエピソードを思い出していた矢先、原作ウンディーネに登場するキューレボルン(※)というキャラクターが強烈に禍々しさを放っていて存在していたのを思い出す。世界中の川の写真を撮っていたこともあって、栄信と水のイメージを重ねてみると、見事に禍々しさに厚みや雰囲気がより鮮明と形になった。

今回のZINEや写真展で、私と栄信で表現するのはたった一つ「目に見えない禍々しさを形にしようと思考した作品」。

(※)キューレボルンは、ドイツ人の作家フリードリヒ・フーケが1811年に発表した「ウンディーネ」の中に登場してくるキャラクターの一人。ウンディーネの伯父ではあるが、当然ウンディーネ同様水の精霊である。ウンディーネとは打って変わって、物語の中では、気軽に立ち寄れるような感じではなく、禍々しさを醸し出している存在。原作から描かれた絵画などを調べてみても、黒い影として表現されたり、禍々しさを象徴した雰囲気を携えている。

Photography & Art Direction
JUMPEITAINAKA

本展では、俳優・栄信をタイナカジュンペイが撮影&ディレクションした展示作品と、ZINE(特別私製写真本)の販売を致します。※展示作品は会期終了後のお渡しとなります。

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