大槻香奈「2020年 東京観光」

「2020年 東京観光」

2018年、私は古い祖母の家を記録したくて、フィルムカメラを持ち始めた。私はふだん絵画というジャンルで表現活動を行なっているが、そこで度々テーマとしてきた「家」について、写真でも向き合いたい気持ちがあったからだ。フィルム写真に拘ったのは、幼少期に撮った家族写真(インスタントカメラの風合い)を、現代でやり直す意味があったからだった。私は祖母や母の面影を持つ妹ふたりを、祖母の服を着せて家で遊ばせ、そこに住み着いた幽霊のように写真を収めた。これは単に古い家の記録写真というだけではなく、自分にとっての「家族写真」でもあったのだ。2019年、初の写真個展『人形の住む家』(神保町画廊)にて、それらを発表した。

あれから1年、今年は、昨年の間に撮りためた海外での写真を集めて展示を行うつもりだった。しかし突如としてやってきた新型コロナウイルス感染症の影響で、写真展のテーマをいちから考え直さなければならなくなった。世界規模で強制的にあらゆるシステムの変化があったいま、自分が撮るべきものは何かと考えた。

2011年の3.11直後、人間が自然現象の脅威と社会現象の不条理に晒されたとき、私たちのほとんどが主体性を見失い、パニックに陥ってしまった。それを目撃したとき、当時の私は絵画で表現しようと試みた。いまこの現在も、形は違えど似たような現象が起きている。であるならば、自分はまた作家として何かを表現し、この異常事態を記録しなければならないと考えた。私はカメラを持って、パンデミックにある東京の街の姿を撮ることにした。(実際に作品になった写真のほとんどは、外出自粛要請が出る前の風景であり、いま現在みえる風景とは少しズレがあるかもしれないけれど)

3月のある日、関西から妹ふたりが浅草にやって来た。浅草はいつもより人が少なく、すれ違う人達はほとんどマスクをしていて、互いに隠しきれない緊張感があった。雷門では、新調のために大提灯が外されていて、近年ますますの日本の空虚さへの感情移入もあって、余計にがらんとして見えた。冷静さを装いながらも落ち着かない風景のなかで、私は「観光写真」を、妹ふたりの「家族写真」として撮ることになった。記念写真の形をとりながら、1枚の中に、みんなの問題と家族の個人的なそれとがあわさって、なんだか不思議な気持ちがした。

パンデミックは主体の問題を見えにくくさせる。けれども、いかなる時でも、確かにそれぞれが「私」の人生の問題を抱えながら生きている。私たちはこの危機的状況のなかで、集団の一部でしかない誰でもない人間の自覚と、換えのきかない唯一の自分とを行き来して、自分という主体の揺らぎを感じているのではないだろうか。これらの写真はその自問自答、時として自分の姿をうつす「鏡」のように機能することがあるだろうか…と。そんなことを考えながら撮影した、2020年の東京観光写真なのである。

大槻香奈写真展「2020年 東京観光」 
5月29日(金)~6月7日(日) 会期中無休 13時-19時